底辺五十代男のブログ

ワーキングプアの独身一人暮らし男性の日常

生い立ち その3

小学校


今の自分は笑顔が少なく、頑固なところがあるが、小学生のころは


活発な子供だった


リトルリーグ(野球)や子供会の野球チーム、剣道の道場にも通っていた


全部小学校でやめてしまったが、剣道では県大会の選手になったこともあった


運動神経はいい方ではないが、剣道は向いていたのかもしれない


野球はリトルリーグでは補欠だったが、子供会ではレギュラーだった


また運動ではないが、書道教室にも行き、子供の部では最高段位まで取った


勉強は出来た方で、高校時代までそれは続いた


性格は明るい方だったが、人に好かれたくて嘘をつくことが多かった


今の自分とはだいぶかけ離れている(もちろん、全く嘘をつかないわけではない)


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人に話すことは無いが、ある犯罪の被害にあった


たしか警察も学校に来たと思う


これが俺の人格形成に影響を与えたとは思わないが、消したい記憶のひとつだ




中学校


ここで性格が変わった


いじめだ


俺はそう思っているのだが、まわりはそう思っていないかもしれない


暴力や無視は無かったが、悪口がすごかった


おとなしくしていると、「暗い」と言われた


「ネクラ」という言葉が流行っていた時代だ


小学校の時は明るかったのにどうしたんだ、という意見もあった


しかし自分では、何も変わったつもりはなかった(ただ松山千春をよく聴いていた


ので、それを知ったヤツが、あいつは暗いと言い始めたような気がする。今は


ほとんど聴かない)


難しい考え方をすると、小学校よりも人数の多い中学校の中で(かつ各自の思考力が


上がり)新たな集団心理が働いて、なにかスケープゴートやはけ口みたいなものを


集団は必要とし、俺がそれになったのかもしれないと思っている


まわりはいじめだと思っていないかもと書いたが、その理由は俺がクラス委員長


に選ばれたり、生徒会の副会長に立候補させられたりという経緯が


あるからだ


ただそれは勉強が出来たからだけだ、と俺は思っている


また当時は校内暴力全盛時代だったが、昔の不良は弱いものいじめをあまり


しなかった(卒業式では、保安のためパトカーが数台来ていた。市内では有名


な札付きの中学校だった)


一度だけ不良に殴られたが(番長クラス)、殴り返したら逆に認められた


口では負けるが、暴力には屈したくない


しかしそれは、自分があまり器用な人間ではないことの裏返しであることに、


後年気づいた




高校

県立の進学校に進んだ(家も裕福ではなかったので)


悪口はあまりなかったが、同じ中学出身のヤツが俺の悪口(ネクラ)を


言っていることもあった


しかし中学に比べれば平穏だった


当時流行っていたMTVの洋楽を聴き、深夜のロードショーによく出かけた


エレキギターもちょっと弾いた


校則では禁止だったが、バイトもした。友達の紹介だった


成績はトップクラスで国立大学合格レベルだったが、3年生になると


だんだん落ちていき、大学合格は難しいレベルになっていた


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高校2年のときだった


停学になってしまった


3日間だ


成績不振のヤツから、カンニングさせてくれと頼まれ、俺は嫌だったのだが


しぶしぶ協力した


するとそれが巡回中の教師に見つかり、した方だけでなく見せた方も


停学処分になった(ちなみに俺は天然パーマがひどく、パーマをかけている


だろうと教師に言われ、居残りを喰らったこともある)


親には悪いことをした


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受験勉強は、かなり追い込みをした


入学時は学年2位だったのが、100番以下になっていたが、30番程度


には戻した


現役で中堅の私立大学に合格した


ほんとは一浪してもっと上の大学に行こうとしたが、親に反対された


まぁ今思えば当然だろう














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